人間が自由を求める根底には愛がある
これは、是非一度、みなさんにも考えていただきたいテーマです。
単純に考えれば、私たちが働くのはおカネを稼ぐためでしょう。給料を得るためですね。では、なぜ私たちはおカネが欲しいのでしょうか?
それは、おカネがないと不自由だからです。おカネがないと、ちゃんとした家にも住めないし、ご飯も食べられない。着たい服も着れないし、欲しいものも買えない。行きたい所へ行くこともできません。
つまりおカネを求めているのは、自由を求めているということなのです。
では、なぜ自由を得ようとするのでしょうか?
それは、自分や家族を愛しているからではないでしょうか。ゆとりを持って本当にやりたいことをやったり、人と交流したいからです。そして、家族にも安心して生活してもらいたいからなのです。子供には十分に教育を受けさせたい、親や妻には時にはプレゼントをしてあげたり、旅行に連れて行き、喜ばせてあげたいからです。
「とにかく売れればいい」では大きく売れるはずがない
さらにもっと広げて、周りの多くの人たちに役立ち、喜んでもらいたいからなのです。
つまり自由を得ようとするのは、愛を与え、愛が欲しいからなのです。
私たちは自分も家族も会社も可愛いのです。人を愛したいし、愛されたいのです。
世の中の人々の役に立ちたいというのは、実は人間全てが持っている本能なのです。人間の本能は、愛を出すことだとも言えるのです。
人は何もしないではいられません。一つの部屋に閉じ込められて、「絶対に何もしてはいけません」と命令されたら、恐らく普通の人なら3日ももたないでしょう。
そのように考えると、仕事というものは全て、人に喜びや愛を与えるものだと言えます。愛や喜びが仕事につながると言ってもいいでしょう。
仕事というのは愛の表現されたカタチなのです。われわれがなぜ働いているのかについての究極の答えは、「愛を溢れさせたいから」なのです。
ここで問題になってくるのは、同じ愛を出すのならば、その愛を大きな単位に向けることが重要だということです。
自分だけを愛するのであれば、自分さえ良ければいいという利己的な考えになってしまいます。家族だけを愛するのであれば、隣の人と争いが起こる可能性があります。境界の垣根が一〇センチはみ出しているだけでいがみ合いになります。
自分の会社だけを愛していると、競合他社を攻撃して蹴落とそうとするかもしれません。また、わが日本だけを愛すると、他の国といろんな問題で摩擦が生じます。かつての日本は、愛国心がもとで戦争をしたわけですね。
ですから、全人類を愛することです。地球や宇宙という大きな単位で愛するのです。
そうすれば全ては調和の方向に向かっていくのです。
仕事をするにしても、わが社を愛するがために、売り上げや利益を上げることだけを考えれば、少々消費者にとって害のあるものを生産しても、とにかくたくさん売れればいい、ということになってしまいます。
ゴルフ場を作るために、山を切り崩し森林を伐採して、大量に農薬を撒いても、一人でも多くお客様が呼べればいいということになってしまいます。
こうやって多くの企業は、環境を破壊してでも、とにかく自分たちが潤うためにと企業活動をしてきたのです。
しかしこれからは、自分や家族や会社のためだけに働くのではなく、人類のため、世界のため、地球のために何ができるかを考えて働くことが重要になってきます。
そして一人一人の愛を充満させることができれば、これほど働くことに充実感を持てることはないのです。