なぜ、私たちはお金が欲しいのでしょうか。
お金が欲しいというのは、お金がなければ不自由になるからです。
どこにも行けないし、何も食べられないし、何も買えないからです。
お金があったら自由にどこにでも行けるし、何でも食べられるし、好きなものを何でも買えるからです。
と言うことは、裏を返せば、この世にあるものが全部自分の手に入ったら、お金そのものがいらないということになります。
ですから、お金が欲しいというのは、自由が欲しいということなのです。
お金イコール自由と言っても良いのです。
では、なぜ私たちは自由が欲しいのでしょうか。
私たちの脳裏には、欲しいものや望んでいることが次々と浮かんできます。
その浮かんでくることを叶えるために自由が欲しいのです。
その自由を得るためにお金が欲しいのです。
浮かんでくるその欲望を実現するために自由が欲しいのです。
では、その欲望というのは一体どこからくるのでしょうか。
欲望は、自分を愛する自己愛から来るのです。
ただし、自己愛だけだとエゴと言われてしまいます。
もう少し愛する対象を広げると、家族を愛する、会社を愛する、世の中を愛する、日本を愛する、世界を愛する、というふうになっていきます。
このように突き詰めて考えていくと、結局はお金も自由も欲望も手段だということになります。
手段でないのは唯一、誠意(まごころ)であり、愛だけです。
では、愛は手段でなければ何なのかと言うと、それは一言で言うと〝存在〟ということです。
愛そのものが存在しているという〝在る世界〟です。
その〝在る世界〟が出てくることが本来の一番の目的なのです。
そのことに目覚めたら、そこにはもう手段はなく目的しかないのです。全てが目的と言う世界なのです。
存在、命そのもの、それが私たちがこの地球に誕生した原点なのです。
なぜ、人類が誕生してこうやって生きているのか?
地球上にいる何十万種類の生物は、一体何のために存在しているのか?
実は、何のためというのはないのです。
存在していること自体が既に目的を達しているのです。
ですから、私たちは本当の自分を自覚して、それを体現していくことが、既に目的を達しているということなのです。
『ポイント』 お金は手段であることを知ることです。