生命意識が引き出され、患者さんが本来の姿に再生していくのは、究極の大船に乗ることに他なりません。元々の姿に自分で戻していくということだからです。
それは、患者さんが今から医学を勉強して、その知識を自分に適用していくということでは、もちろんありません。元々の本来の自分に気づき、それが自分を治癒に向かわせるということです。
心の学校キャンパスでは、どんな人に対しても、重い病はないという満月の法則の観点で接していきます。
病気は、その人へのメッセージであり、その人のなかに全部答えがあり、目の前にいる人は、完全で完璧であるという、そのように扱った時には全てうまくいくのです。
完全で完璧であるということは、人間の考える完全完璧ではありません。
人間の考える完全完璧は、例えば健康について見た場合には、どこにも疾患がなく、気持も明るく、前向きで、社会にも適応している状態と捉えるでしょう。
生活で見た場合は、収入もあり、家庭も持ち、家族円満な人生かもしれません。
しかし、心の学校キャンパスで言う完全完璧というのは、人間が創られたその意思からすると、病気も、病気が表れたそのことも、あるいはまた、健康であるということも命を生かすという側面では、同等で同質な、ひとつの状況の表れなのです。
宇宙のシステム、その人の命という観点から見ると、病はその人にとって必要なものであったことに気づくのです。病も健康も含めて、過不足なく、完全な動きなのです。
がんになった、大変だ大変だ、あなたはがんだとレッテルを貼ってしまうことのほうが、よほど事態を悪化させてしまうことになります。
それを認めることによって、不安や心配が出てきて、それがさらに大きくなる可能性があります。
例えば、人の欠点も気が付かなければ欠点ではありません。でも、いったんそこに目を向けたら、その存在が大きくなっていきます。
初めてそれが存在してくるわけです。認めたものが現れてくるのです。
「あなたを見ていると、その目つきはうつ病の症状です。完全にうつ病ですよ。
顔色も明らかにうつ病のものです。あなたからの質問も、全部うつ病の傾向があります。
それに、あなたのような服を着ている人は、うつ病の人が多いんです」
これはあくまでも例ですが、周囲の人からこのように言われ続けたとしたら、自分でもうつ病だと思いこんでしまい、寝ても覚めても頭から離れなくなることでしょう。
「うつ病だな、大変だな。明日から仕事できないな」と、自分でも思ってきて、気づかないうちにうつ病を演じていくのです。
「うちの女房は全然分かってくれない、俺がこんなに苦しんでいるのに!」と、あえて苦しいところを見せるようになるかも知れません。
すると増々、うつ病であることをつかむ取っ手が増えてきます。
もしも誰かが「今ここで手を打たねば彼は大変なことになるよ。今のうちに、みんなも教えてあげたほうがいいよ」と根回しすれば、追いつめることさえできるでしょう。
このように病気は、周囲や本人が造り出している場合があります。その側面から捉えると、病気とは、病名であるとも言えるのです。
最初から重い病はなく、表れているのは、その人の命という観点から捉えた、必要な、完全完璧な姿の一面でしかありません。
表れている病気に焦点を当てるのではなく、その完全性だけを捉えていった時に事態は変わってきます。