心の3層構造 人間は記憶でできている ─先祖、前世、今日までの記憶─

悟り

心の3層構造

人間は記憶でできている
─先祖、前世、今日までの記憶─

最初にお聞きします。
「人間は何でできていると思いますか?」

この問いに対して普通は、「人間は、肉や骨でできている」……または、たんぱく質、水分、細胞、遺伝子でできている……などと答えたりするのではないでしょうか。

しかし、私は「人間は『記憶』でできている」と、とらえているのです。

私たちは、この世に誕生したときすでにお父さんやお母さんに顔が似ていたり、性格が似ていたり、体質が似ていたりします。

それは、「父母、そして先祖からの『記憶』」を遺伝子(DNA)によって引き継いでいるからです。

さらに魂の世界では「前世の『記憶』」も影響を受けています。私たちは「遺伝子」と「前世」からの記憶を両方持ち合わせて生まれてくるのです。

そして、生まれてから今日に至るまでのたくさんの出来事——人との出会い、経験……それは、自分に起きた出来事とともに嬉しかった、楽しかった、悲しかった、つらかった、痛かったなどという体感と感情も一緒に記憶としてその都度あなたの細胞レベルに刻み込まれていきます。

それはいわば現世での行為や行動によって心に刻まれた記憶といえます。あなたはそれらを頭では忘れているようでも、何一つとして忘れてはいません。

それはきっかけがあれば一瞬にしてそのことを思い出し、心や体に現れる記憶だからです。

これほどまでに「記憶」というものが私たちにあるのはなぜでしょう。

それは、この世に生まれてきた自分の生命を維持するため、守るため、と言えばわかりやすいと思います。

記憶があるのは、私たち人間だけではありません。あらゆる生命体はその記憶があるからこそ自分を守ることができ、生きていけるのです。

例えば、野生のシマウマは、ライオンが茂みから出てきたら子供のシマウマでもパッと逃げますよね。

危ない! 食べられてしまう! と、まだ食べられたこともないのに咄嗟に逃げます。

「逃げる」ということを誰にも教えられていないうちにです。

逃げるということは恐怖という記憶、恐怖心が必要です。

つまり、野生のシマウマはもともと恐怖心という記憶を持っているのです。

恐怖心があるから自分の身を守り、生命を維持できる、生きていけるといえるのです。

もう一つの記憶は愛です。雄と雌の営みという愛、その愛によって子孫が生まれ、その子供を愛する、愛するからこそ餌を捕獲して与える、育てるという愛もありますね。

愛という記憶が先祖から連綿と受け継がれているからこそ、子孫やその種族が絶えずに続いているといえるのです。

この動物の愛と恐怖の記憶は「本能」と言い換えることもできます。

本能という記憶は、私たち人類を含めた生命体がこの地球上に存続するために必要なものです。

人間はときに「恐怖心」を克服する努力をしたりしますが、野生動物がそんなことをしたら、天敵に簡単に襲われたりして絶滅してしまうでしょう。

この愛をプラスの心、恐怖をマイナスの心とします。野生動物では行動のあらゆる原動力がプラスの「愛」かマイナスの「恐怖」から起こっているととらえることができますが、私たち人間の心はもう少し複雑です。

人間にとってのプラスの心は「明るく」「前向きに」「積極的に」「夢をもって」「目標をもって」「プラス思考で」「愛と感謝の気持ちで」「素直な心で」「勇気をもって」……といわれるものです。

マイナスの心は、「暗く」「後ろ向きに」「人を恨んで」「憎んで」「妬んで」「傲慢で」「偏屈で」「マイナス思考で」云々……。

では、どちらの心で生きた方が「幸せな人生」を送ることができるでしょうか?

こう問われると、みなさん「プラス思考で生きた方が良い」と答えます。

そうですよね。みなさんわかっています。

それが証拠に巷にはプラス思考のトレーニング本やその手法の研修などが溢れています。

そして、そのほとんどがプラス思考・プラスの心を頭にインプットするものです。

しかし、プラス思考を頭にインプットして素晴らしい人生を送っている人はどれくらいいるのでしょう。

人は、「プラス思考で生きよう」とわかっていても、どうしてもそれができないのです。

なぜなら、いくら頭に叩き込んでも、「そう思えない心」が心の中から湧き上がってしまうからです。

一生懸命に意識して「そう思おう」と思っていても、ふと我に返ったとき、力を抜いたときに「そう思えない心」が出てしまうのです。

「思おう、思おう」としても、それを四六時中思い続ける……持続して日常過ごすことは、なかなか難しいことだと思いませんか……。