より多くのお金を得たものが成功者であるとして、経済的な成功を手にするための方法を多くの人が学んできました。
そのひとつとして、従来の成功法則の教えや、願望実現法などで言われていることは〝強い願望を持つこと〟です。
時には、〝渇望〟という言葉で私たちの欲望を煽ってきました。
〝強い願望を持ち続ければ、必ずあなたの夢は叶うのだ〟と言われてきました。
では果たして、本当に強い願望を持てば、お金はやってくるのでしょうか。
実際に成功法則の体現者で引き合いに出されるような億万長者を成功者とすると、成功者の割合は、おそらく何百万人に一人になってしまうでしょう。
後の人たちは、みんな失敗者ということになってしまいます。
つまり、従来の成功法則の価値観からいくと、成功者になれる確率は極めて低いのが紛れもない事実なのです。
ですから最初から諦めて願望を持つことをやめてしまうか、諦めずに願望を持ち続けてそれを達成するまで我慢するか、どちらかになってしまうのです。
諦めずにがんばっても、結果的に本当に願いが叶ったという人は、このようにごく一握りですから、後の人たちはみな敗残者になってしまうのです。
ただ、敗残者とは認めたくないから、それなりの言い訳を用意して生きているのです。
〝強い願望を持つことだ〟と教えられたら、私たちはどんな願望を持つでしょうか?
どんな夢や目標を持つでしょうか?
〝願望を持ち続ければ、必ずあなたの夢は叶う〟と言い聞かされた時、本当は自分は野生馬なのに、サラブレッドになる目標を持ってしまう可能性があるのです。
野生馬は絶対、野生馬にしかなりません。
ところが、みんなから賞賛される華やかなサラブレッドの姿に憧れて、「私もああなりたい……」という願望を持ってしまうのです。
動物はそういう間違いは絶対に犯しませんが、人間だけはそういう間違いを犯してしまうのです。
経営者に全く向いていない人が、経営者になったら成功じゃないかと思って会社を興す願望を持ってしまいます。
そして、がんばってがんばって独立して経営者になったとしても、ストレスが溜まり病気で早く死んでしまったら元も子もありません。
仕事は何とかうまくいってお金は増えてきたけど、家庭は崩壊寸前という人も大勢います。
ほとんどの人は、こうした固定化された成功法則の教えのために、本来の自分の姿を見失い、他の人を見て、あの人みたいに金持ちになりたい、こうなりたい、という願望を持ってしまうのです。
あの人と私とは、生まれる前から全然違うのです。
私たちは、外の誰かを見てそこに願望を持つのではなく、一刻も早く内なる自分を深く見つめることが大切なのです。
そして、自分にしかできない、生まれながらにして自分に与えられている使命を知ることなのです。
何も、願望を持つことがいけないということではないのです。
人が喜ぶことへの願望は、いくら強く持ったとしてもいいのです。
なぜなら、多くの人を喜ばせ、幸せにさせることができた人こそ、結果的に一番喜ぶことができる人になれる、という普遍の真理があるからなのです。
自分の個人的な、浅はかな願望を持つのではなく、深く深く自己に内在する本当の自分の誠意(まごころ)を見つめることによって、大いなる宇宙から与えられた自分の使命を果たすことに焦点を絞るのです。
外にある何かに願望を持つのではなく、本来の自分を最大限活かすことに願望を向けることが、お金に愛される永久不変の誠意(まごころ)の力を呼び覚ますことになるのです。